戸田先生をご紹介します。

戸田先生は小白沢ヒュッテの初代管理人です。しかも最初に教員をされたのが、湖底となった浪拝分校とここ鷹巣分校でした。その後、新潟県内で数カ所教員を勤められたあと、小白沢ヒュッテの管理人となられたのです。
今年、たまたま3女の旦那さんからメールをいただき、湯之谷村・葎沢のお宅へ何度か伺いました。そこで見た戸田先生の絵に私は魅了されました。このHPへの掲載をお願いし快諾され、このたびごその一部をご紹介させていただきます。今回ご紹介する絵のほかに墨絵、俳句などもたくさん残されています。残念ながら戸田先生はすでに他界されています。
どの絵も鷹巣やヒュッテ周辺の山川がじつに生き生きと描かれています。3女のご夫婦はたいした絵でもないと謙遜されていますが、私はいつか戸田先生の回顧展を開きたいと思うこの頃です。戸田實著「人生七十七歳を生きて」のあとがきもぐっと来ます。(July 2004)

戸田 實(とだみのる)
明治44年6月20日生
趣味/絵画、釣り
略歴/昭和4年3月、新潟県立村松中学校卒。その後、教員の道を進み昭和44年3月31日に南蒲原郡中之島村立信条小学校を最後に定年退職。
(戸田實著「人生七十七歳を生きて」より)



「人生七十七歳を生きて」あとがき

 永い人生をふり返ってみて、一体何が残ったのだろう。只生きて来たというだけ、せめて少し位は銭を残さねばと思ってもみたが、「五合桝には五合、一升桝には一升しか入らないから、無理しても駄目だ。」と妻に言われれば、一言の返す言葉もない。私の能力を一番よく知っているのは妻であれば、やはり無理をしても駄目だとあきらめている。せめて一升桝位の器であれば、妻にも少しは楽をさせることが出来ただろうに、名もなさず、財も蓄えず、只々生きて来たというだけ、残ったものと言えば、健康、そして思い出だけ。
 でも、あの銀山平の山奥で経験した、自然の美しさ、きびしさ、偉大さ、それを身に秘めて体験した身であれば、名誉とか、地位とか、そんなものは、あの大自然に比べれば、何と果敢ないものか。自然のままに、そして背のびすることなく、自分の能力のままに、生きること、それが山で得た私の人生観である。
 路傍の石のように凡石でもよい。だが、その中にほんの粟粒ほどでもよい、ピカリときらめくものがあればよい。そんな石になりたいと念願している。
 二人暮らしの老人家庭であれば、一人ダウンしてしまえば、「万事窮す」である。健康第一に、妻よ頑張れ、残り少ない人生を二人三脚で頑張ろう。


Toda Minoru Gallery






















































Updated : 23 / Jul / 2004


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