温泉のページ

ver1.0 1997/T.Sakurai 
1997年の執筆で 
ガイドとしてはあまり有用ではないと思います 
禁転載/筆者  


序章

「いちばんいい温泉はどこですか?」とか「お薦めの宿はどこですか?」と私に問う人がいる。もちろん私がたくさんの温泉を巡ったと聞いた人の質問である。また、酒について詳しいと聞いても同様の質問が返ってくることが多い。そんな時は「女性の数だけ美しさがあるように、温泉(もしくは酒でもいい)も各々違った素晴しさを持っている。」とごまかすことにしている。
マスコミの情報には相変わらず温泉とグルメが欠かせず、最も無難に視聴率をかせぐには最適のアイテムとなっている。出てくるのは露天風呂と豪華な料理、そして若い女性または通ぶった芸能人など。まったくのステレオタイプである。

かつて温泉は農閑期に湯治で行くか、会社の慰安旅行でいって馬鹿騒ぎするところ位のイメージであった事を若者はもう知らない。秘湯ブームは温泉好きに市民権を与え、放浪しながら温泉巡りをしても変人扱いされないのは結構なことである。私の好きな温泉はつげ義春の漫画に出てきたり、彼の旅日記に扱われるものと重なることが多い。しかし彼の絵にあるような趣のある町や宿が無くなったり、ブームに乗って温泉宿が大ホテルに変貌したりと、受難の時代は違った形で続いている。

「つげ義春・流れ雲旅」(旺文社文庫1982年刊)のあとがきにこうある。
『たとえばある日ぼんやりと「ここではないどこかへ行きたい」と想うとき、旅というものは始まるのだろうか。わたしたちの場合はほとんどそうだった。きれいな景色をみようという欲もなく、旅先の土地や人びとの暮らしを知ろうという熱意もなく、ただふわふわと旅するだけであった。(中略)わたしたちがみる<風景>は現実にいまいたるところで<近代>という病菌によって壊死しつつあるわけであり、旅するとはついに実在する悲惨な空間を移り行きながら、同時に幻の<村>をもとめておのれの内を行くものではないか、旅とはそうした二重構造のうちに暗く可能なのではないか、という想いには常に包まれていたのである。』

<近代>への反省など考えたこともない政治家と官僚の厚顔無知にうんざりし、バブル以降あいも変わらず全てをゲームへと帰する発想のままのマーケットにも付き合いきれず、私たちは旅にでるしかないのである。そんな私が居心地の良い温泉などについて書かせていただきます。ただし、名称、位置などはぼかした表現にしてありますので興味をもった方は自分で探し出して下さい。

『療養のF部温泉』

東北の旧関所から近い県境の山奥にあるこの温泉は、交通量も少ない国道から、さらに数キロ入ったところにポツンと一軒。前足を悪くした白い犬がピョコピョコと愛想良く出迎えてくれる。入り口には療養の温泉と書いた看板。玄関を入ると左にある窓口とビニール張りの長椅子がまるで医院の受け付けのような雰囲気で、さぞや効能があるかと期待させる。

建物は木造で3層か4層になっており、風呂は入り口の階より下に降りる。脱衣場の窓から外を見ると眼下には茶色の巨大な岩の塊り。なんとすべて温泉の斥出物だという。板戸を開けると洗い場も湯船も真っ茶色。もちろん手拭いも染まる。そして嬉しいのは毎分80リットルという湯量の多さ。湯船の木枠から溢れた大量の湯は、ゆるい斜面を広がったあとゴウゴウと排水口へ流れ込む。42度の湯に茹だったら、洗い場で湯桶を枕に寝ころがって少しさましてまた湯船へ。効能は火傷、胃腸病、神経痛、リウマチ。昼間は来客も少なく風呂を独占出来るが、夕方になると近隣の住人で少しにぎやかに。連休などには結構泊り客もあり、近所のおばさん達が食事の手伝いに来ている様子が伺われる。場所柄、春には山菜料理が増える。料金は一泊二食で6千円位だったと思う。

『美人の湯・F本温泉』

有名なそば街道といえばピンとくる方は多い筈。そのなかで雑誌などにも紹介されるAそば屋から西に4キロ位のところにこの温泉。小さな川沿いに細い道をゆくと二階建ての家。とくに看板や温泉マークは見当たらない。玄関の向かいに鳥小屋があって数種の鶏がいる。よく見ると知らない種類の珍しい鳥も数羽。訪れるたびに違った種類の鳥がいる。この宿には他にも様々な動物が住んでいる。犬、合鴨、鯉、そして春には蟇蛙の合唱も聞かれる。もちろん秋には虫の音。おやじさんが山鳥狩りをするためポイントターも数頭いて、お役御免の高齢の犬は最近は毛布にくるまって寝ているという。

桜の木もあり、春の連休に訪れると二階の部屋から見える満開の花がお酒を美味しくしてくれる。風呂の入り口は男女別だが内は一緒。天井が高くタイル貼りで眼鏡型に二つの湯船。左は温かく、右は30度位のぬるい源泉が渾々と湧いている。 ぬるい温泉好きにはたまらない。湯を動かさないようにじっとして長々と入り、時々熱い方にも入る。硼酸珪酸重曹泉でアルカリ性が強く、ぬるぬるで肌がきれいになる美人の湯。もちろん宿のおばあちゃんも、おかみさんも、娘さんも美人なのは言うまでもない。皮膚炎だった友人もここに来て改善したという。

特筆すべきは料理。ここに泊まるときは昼飯を食い過ぎないこと。定番の鯉のカンロ煮も絶妙だが、都会暮らしの人間には名前も知らないキノコなど、季節ごとの珍しい食材が食卓を彩る。泊り客以外に地元の小宴会があるのもうなづける。部屋数は少なく週末でも泊りは一組か二組でのんびりくつろげる。夜も蛙の声以外は静かな宿で、早朝に谷間を霧がうめつくすことが多い。一泊八千五百円とは内容を考えれば大変廉価である。

『異境Y坂温泉』

ヒバ林のなかの道を延々と登った先に忽然と現われるコバルト色の湖。観光バスも訪れる寺の手前、荒涼とした道端にある一見ただの雑貨屋か土産物屋という店構えの家。かつて私が弥次喜多貧乏旅行の際、飛び込みで飯と味噌汁だけで泊めてもらった温泉宿である。

入り口には小さな食堂があり、すでにおどろおどろしい雰囲気がかしこに伺われる。奥の廊下のよこには4畳半の殺風景な部屋がならび、そのまた奥に風呂場。セメント造りの湯船の上に「花染の湯」とあった。硫化水素泉はphが1か2だったと思う。強烈な酸性泉でもちろん石鹸はきかない。その強い酸で、風呂からあがったあと皮膚がピンク色に染まることからこの名がついたという。

かつては寺の参拝客がここに泊まったのだろう。故人の口寄せをするイタコの部屋もあった。幾度もこの異境を訪れているが寺も新しくなり観光客の割合が多くなった。しかも吹き出る硫黄も減ったようで、寺山修治の映画「田園に死す」のオープニングの面影は薄い。私は寺の宿坊よりこちらが好きだが、霊感の強い方にここに泊まることはお薦めしない。

『鼻歌のA滝鉱泉』

雪の頃に初めてここを訪れた。東北道を降りてからさほど遠くなく、有名なS原温泉の南に位置している。その日の積雪はかなりなもので、我々の乗った車2台は雪道を登れず置いて歩くことにした。歩いて坂を登るとそのあとは曲がりくねった雪の下り。私はゴム長靴で平気だが友人達は時々転げながら降りてゆく。谷底に着くと宿の茶の間では数人がこたつを囲んで談笑中。古い造りの家の奥の部屋に通される。二階にも客がいるらしく時々ギシギシと天井が鳴る。風呂は小さく隣で薪を炊いていて煙のにおい。薄い褐色の10度の鉄鉱泉を沸かす。

暗くなって風呂あがりで皆ごろごろしていると、私たちの部屋に向かって鼻歌が近づいてくる。おばさんと娘さんらしき女の子が夕食を運んできたのである。ランララランとじつに陽気なおばさんは若いころは東京に出て働いていたこともあるという。たらふく酒を飲んで騒いでいると廊下の外に犬の気配。戸を開けると愛想たっぷりのポインターらしき犬がいる。まずベビーサラミをやると喜んでたべる。そのうち誰かがつまみに滲みこませて日本酒をやると、うまそうに飲むので面白がってかなり飲ませた。名前はトラという。翌朝トラの姿が見えず二日酔いになったかと少し心配した。自炊3000円、二食6500円の宿だった。

『散弾銃のK森鉱泉』

ラジウム含有量の多さで知られる有名な温泉へ行く道の手前を左に入り、県境へと向かう。さらに細くて無舗装の道を分け入るように進み、家が近づくと猟犬たちが騒ぎだす。宿は二階建てで一階の土間の奥には囲炉裏があり二階に客室、風呂は別棟へと渡る。10度の炭酸食塩泉は褐色に濁っていて外から薪で炊いている。ほの暗いなか、湯船にゆったりつかっていると燠火の温かさが風呂の底から感じ取れる。一段高いところに源泉槽があり、熱いときはホースで冷たい鉱泉を湯船に導いてうめる。

二階の部屋にもどるとすぐに夕食で、この日は猪の煮付がでる。定番の小ぶりの松茸の塩蒸しもいつも通りだ。食事をしていると向かいの友人がガリッという音とともに顔をしかめている。猪肉に散弾の玉が入っていたのだ。そう言えばおやじさんが昨日猪を撃ってきたと話をしていた。

なぜか冬にここを訪れるのだが、とにかくめっぽう寒いのだ。煎餅布団は鉛のように重くいっこうに温かくならない。部屋はたぶん零下だろう。ガラス窓の外はほんとうに真っ暗で、時々遠くの方でゴウゴウと音がする。最初は汽車の音でもしているのかと思っていたが近くに線路などあるはずもなく、風で森が鳴っているのだと知る。

早朝、息が白い。もう風呂に入れるというので喜んで飛び込む。湯けむりの風呂場に差し込む朝日が数本の帯をつくり、薪のにおいも心地よい。今は少なくなった山の中の鉱泉らしい一軒である。

『わら葺き自炊のM温泉』

ここも弥治喜多貧乏旅行の折に寄った宿。当時、我々は飯を炊いて納豆とふりかけだけだったと記憶している。東北、北海道をまわるので一緒に行くかと誘って同行した友人の所持金は7500円だった。当然、途中で金が尽き、たまたま北海道に帰省していた別の友人に金を借りた。

この宿まで車ではいけない。川下からのぼるか、K湯から下るか、とにかく最後は徒歩でゆく。東北の温泉郷で七湯がかたまってあるなかのひとつ。トタン屋根の二階建て、杉皮葺きの家、わら葺きのものなど数軒が並ぶ。自炊を頼むとわら葺きの別棟に案内される。中央に薪ストーブがあり、灯りはもちろん裸電球。

すぐ横に風呂があり、内湯と露天がある。川沿いの湯は硫化水素泉で酸性が強く水虫にも効く。他に客の気配もなく、のんびり浸かる。七湯のなかではいちばん下にある乳白色のTの湯が有名でお湯は気持ちよいが、いかにも秘湯風の演出で私にはいやらしく感じた。くらべて此処はそっけなくていい。温泉郷のなかでここだけは豪雪地にもかかわらず冬期も営業とのこと。川上のK湯も自炊ができる素朴な湯。

『私の定宿T又温泉』

私の実家から近いこの湯には幾度泊まったかわからない。ここからさらに山奥へゆくと大きなダム湖があり、開高健も釣りで通ったという。釣などしない私は夏になると友人達と近くの鮎のやな場で昼飯をたらふく食い、へぎ蕎麦となすの漬物、そして酒類をしこたまもって宿に入る。

自炊棟は木造三階建で少しかび臭い。谷間にあるからだろう。新館は鉄筋で普通の温泉の造り。げた履ですぐ隣の温泉棟も新しく、クアハウスになっている。加熱した湯やバブルジェットの湯もあるがこの風呂で素晴しいのは一番大きな浴槽のぬるい湯。源泉は谷底にあり39度ということだが、湯船では体温位になっていてじっとして入っていると身体の表面に気泡が付き、だんだん温かく感じてくる。昔から子宝の湯として知られ、身体にバスタオルを巻いて一晩じゅう入っていたとか。とにかく長湯に最適の湯だ。ぬるいので酒を飲んだあとでも大丈夫。飲んでは入り、入っては飲む。そして睡魔がおそい寝続ける。朝寝の気持ちのよさは格別。自炊だから朝飯で起こされることもない。寝具と浴衣がついて4000円ちょっと。炊事場にはおきまりの10円ガスコンロがある。

近くにO温泉があり川の両岸にホテルが並ぶ。芸者さんもいるしミュージックホールもあり、かつては射的場もあったと覚えている。いわゆる歓楽温泉の部類だが最近は景気がいまひとつと聞く。豪華な設備のホテルにするだけでは魅力がないということなのだろう。私は子供の頃、親に連れられて何度か風呂に入った覚えがある。そのころ、大きな浴場は入り口が男女別で中が一緒という昔の典型的なパターン。今はたぶん別々なのだろうがあのスタイルが懐かしく、風情もあるのにと思う。

『S峡K野温泉』

5月の連休に強行軍で北海道をまわった。早朝に東京をでて青森で昼飯を食うという離れ業をやったあの頃はタフだった。ドライバーは私だけで、小さな車に若い女性3人を乗せていったと言えばうらやましがれるだろうか。食欲では男勝りのグラマーな2人が後ろの席に陣取り、酒量で大関クラスの細い1人が助手席に。とにかくよく食った旅である。

桜前線を追い越して北上すると気温はどんどん下がる。3日目、北海道を東へ向かい、峠越えの頃にはついに雪になった。5月でも雪が降るのは珍しくないのだ。途中、慣れない関東ナンバーの車が道の脇に落ちていた。原生林のなかをゆく途中、蝦夷鹿達にも出会った。どんづまりにこの温泉。まだ寒い時期で宿泊客も少ないのかと思ったら、ここは冬期も営業し、むしろ冬の方が湯治客が多いという。

泉質の違う9つの浴槽があり混浴が多い。私と入れ替わりに一番大きな風呂にいったグラマー隊はおお喜びでキャーキャー言いながら何も隠さず堂々と湯船に走っていったという。湯煙のなかにじっと見つめる男を発見して大騒ぎというおちである。翌朝飯の食堂での気まずい雰囲気は言うまでもない。

泊まった部屋はなぜかべらぼうに広い。中央に大きなストーブがあり30畳以上あったと思う。私のイビキがうるさいというので3人と1人で対角線の隅に寝た。その時は一泊だけだったが次回は長居したいと思わせる宿だ。帰り際、近くにある露天風呂に寄った。原生林の川に面して、ほとんど水面の高さの変わらない湯船。脱衣場もないので女性が着替えの際は後ろを向いていた。

『R温泉Kの湯』

サラリーマン時代、連休に1泊4日でS半島まで走り続けた旅である。木曜の夜東京を出て、友人のランドクルーザーで交代に寝ながらフェリーをはさんで千数百キロ走り続けた。Kの湯に着いた時はもう日が暮れ、閑散としたキャンプ場でトン汁を作った。翌朝風呂に入る。川むこうの温泉は露天だけで、女湯は塀でかこってあるが男湯はまる見え。無料だが源泉が99度と熱く、しばらく人が入らないとものすごく熱くなっているので水を入れてうめることから始める。それでも熱いので、しばらく入っていると体が真っ赤になり、洗い場にトドのように寝転がってさます。

深い森に囲まれ、遠くで、近くで鳥の声がする。貧乏旅行者には好評の湯で、夏のシーズンにはバイク乗りがよく訪れている。この半島には秘湯が多く、Kの滝湯も有名なひとつ。土曜の昼、滝の斜面を登り続けやっと滝坪の湯に到着。私達は素裸で入るが他の連中は水着に着替えている。こういう連中が増えていることはおぞましい。坂を下って道まで降りるとなんと観光バスが来ていた。嗚呼。

『F股R温泉』

最初の会社を辞めてしばらく放浪のころ、部下で私と同時に辞めた若い女性とその男友達が旅に合流した。K大学出という都会派のふたりにとって田舎めぐりは珍しい処ばかりで楽しそうだった。私の小型車は寝具、テント、料理道具、はては七輪まで積んでいた。普段は簡潔にすます食事も3人になったので、私も気合いが入りブイヤベースなども作った。ワインや香辛料類も積んでいたのである。牡蛎が食べられなかった女性も小振りの夏牡蛎を七輪で焼いたらこれは旨いと食っていた。

蟹で有名なO部から山に入ったここの風呂は巨大な石灰華ドームで知られる。小さな別浴もあるが混浴のドームが見事。50度の重曹食塩石灰泉は大量の斥出物があり湯船は褐色、湯量も豊富。女性もバスタオルで一緒に入る。ドーム外の露天も快適である。帰り際、入り口に従業員募集のはり紙を見つけ、少しうしろ髪引かれる思い。ほてった体を駐車場で冷ましていると北狐がじっとこっちを見ている。とくに人を恐れる様子もない。きっとここで餌をもらっているのだろうが、しょぼくれた感じで寂しい風情だ。狐は走り去る私達の車を見つめていた。

『S津温泉』

フリーでいるので思いついたら旅にでる。しかし、たまたま観光地をよこ切らなければならない時に渋滞に出会う。連休に一生懸命遊ぶサラリーマンの悲哀を感じたり、ルートの選択のミスを自戒したりはするがイライラすることはない。

この時はある酒の話を聞いて、酒蔵を見にいこうかというだけだったが、ついでに大きく寄り道して紅葉を眺めた。野宿で2泊し、3泊めは友人宅を訪ねた。彼女とご母堂と2人暮らしの家にやっかいになり、持参した少しいいワインを飲みながら談した。

翌日は日曜で快晴。友人にナビゲーターを頼み観光地を迂回しながら山道を走る。長篠の古戦場もさほど遠くないS町の蔵元を見つけ試飲させてもらった。東京から来たというと珍しがられた。ここの酒は9割以上を地元周辺で消費しているということだった。吟醸酒を2本買い、近くの温泉をさがした。

最初の温泉の手前までゆくが、建物を観て彼女も私もいまひとつかなという感想。もうひとつ地図にある鉱泉にむかうが道が分かりづらく、しかも細い。やっと見つけるが、山中のこじんまりとした集落の4軒あるどの宿も人気がない。質素だが歴史のありそうな神社の前の小屋に人だかりがあり、尋ねてみると今日は祭りで湯はやってないと聞く。ここに集まった十数人がこの集落のすべてらしい。そうこうしていると甘酒をすすめられる。つぎには鍋も酒もすすめられる。いつのまにか友人はわたしの奥さんということになっていたが、いちいち弁明はしない。

鍋には野菜類と鮭、それにするめが一緒に煮てある。するめ入りの鍋は初めてだが結構いける。酒の瓶を見るとなんとさきほどの酒蔵のもの。一升瓶でさほど高いものではないが試飲した吟醸酒よりも旨いと我々2人は思った。酸味、渋味などが上手くバランスしていて鍋もあっていた。

話しているうち、有り難いことに一人のおばさんが湯を沸かしてくれるといって出ていった。すぐには沸かないからと別のおじさんにまた酒をすすめられる。そろそろかと思い礼を言い、必ずまた来ますと話して教えられた一番上の家にむかう。坂の上の家は庭の木々もきれいに刈り込んである。湯船はひとつで交互に入る。たぶんアルカリ性でぬるぬるした感触。気持ちのいい一日だった。

『S乃湯温泉S荘』

会社の新人研修の一部を受け持ち、若者相手に好き勝手なことをしゃべったら、どうもうけたらしく、その年代のグループを連れて何度か旅行した。そのなかの一人がまた友人を誘い、キッチュな廃虚を見に行こうと話がまとまった。宗教と温泉と観光をかけあわせた妙な開発を進めたが、温泉が出ずに頓挫した山中の廃虚であった。

そのころオームはまだ話題になっていなかった。温泉のたくさんあるI半島のIスカイラインを降りたあと峠をふたつ越えて西に向かう。ふたつめの峠は絶景。U漁港と光る海原が眼下に見える。なにも案内のない道を探り当てた先の廃虚には巨大な閻魔様。人形を使った地獄絵図、恐竜のプールなどと朽ちたホテル。4人で探検後近くのS乃湯に向かう。

山間の道を走ると見過ごしそうな門柱にS荘とある。谷間にポツンとあるこの宿は和服のおかみがひとりできりもりしている様子。清奢な別荘といった雰囲気。透明な石膏泉で少し加熱していて内湯と露天がある。翌朝、露天へいくと夜は見えなかった川がすぐよこで靄が少し出て実にすがすがしい。I半島といえば観光地と思われるがこんな宿もある。

『M山温泉』

この町では旧正月のころ新婚の婿を雪のなかに投げ、墨をおたがいに顔に塗りあうという奇祭があり、時々TVで取り上げられる。しかし豪雪で鉄道も通っていないこの地に観光客は少ない。しかも町に通じる道もあまり整備されているとは言いがたい。坂口安吾が一時住んでいて資料館があることもあまり知られていない。真夏に訪れ、資料館の入り口に湧いている清水はじつに旨かった。

別の夏に友人をつれ、私の実家によったあと恒例の鮎を食べ、地域興しの新しい施設や美術館を見ながら近隣をめぐった折、この宿に泊まった。以前このあたりを車で通り、温泉街から少し離れた木造3階建ての旅館が気になっていた。日曜の夕方に訪れると、品のいい女将さんとご主人が迎えてくれた。仲居さんというより田舎のおばさんという感じの年輩の女性が通してくれた2階の部屋も小さな鏡台があって私の好きな雰囲気。風呂は建て替えられた鉄筋造りの別棟へわたる。

源泉は熱湯に近く、しかも塩分の強いの硼酸塩化土類食塩泉。石造りの湯船も析出物が目立つ。少し離れたTの湯共同浴場も最近建て替えられたが630年前の開湯という名湯である。食事は部屋食で、階段を何度もいったりきたりして運んでくれるのが大変そう。酒の弱い友人はすでにいい気分である。

食後、1階の居間が気持ち良さそうだったので降りてみると古い装飾のピアノが1台。きっと女将さんが若い頃弾いたのではと話しているうちに、ピアノの練習をしている友人が名曲のさわりを弾き始める。というよりさわりだけしか弾けないのではある。いつしか他のお客さんも集まってきてにこにこして聞いている。終わってからのんびりしていると女将さんが上手ですねと言ってくれる。

東京へ帰ってから、ある雑誌の特集で「きのこの旨い宿」の特集をしていてこの旅館が取り上げられていた。夏に訪れたことが少し悔しかった。


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