日記、あるいは、ある断章の提示
1999-7/8〜8/26




山に来てからの日記を再開する。今日、1軒おいて隣から、といっても1kmあるのだが、キューリをもらった。自分の畑で採れた初物だそうだ。昨日は山に手伝いに来た従姉妹がトウモロコシをくれた。ほかに誰もいないカウンターでベルギーのビールを飲み、フランスの珍しいチーズをつまみにし、スコットランドのモルトをやると、いったい此処はどこでしょうという感じだ。都会にいればそんな疑問は持たなかったかもしれない。(8/Jul/1999 T.S.)

夜、満天の星空である。ぼーっと眺めていると、草むらのあたりで光る物が。ホタルであった。なんだか、久々だなーとため息。まだ夜は冷えるので飛び方もこころもとないし、わずか数匹である。食堂にもどって飲っていると部屋でも光る物がいて、どうも非常灯を仲間と間違えて入って来たようだ。(9/Jul/1999 T.S.)

風呂場を掃除していたら昨夜のホタルを発見。昼間見るとなんだか情けない昆虫だ。やっと捕まえて、外に放してやる。もちろんその前にデジカメで1ショット。午後、小白沢ヒュッテのHPを見てきたキャンプの若者3名。HPも結構効果があるのだと実感。夜にはたぶん、あのホタルであろうか、昨日と同じ草むらで光っていた。(10/Jul/1999 T.S.)

誰も客の来ない山小屋での午前中、バッハの平均律第2巻のあたまを掛ける。グールドのである。陳腐な表現かもしれないが、美しくてもの悲しくて見捨てられた山小屋にぴったりか。(11/Jul/1999 T.S.)

大雨のあとヒキガエルが窓のむこうで鳴いている。BSで映画をみる。題名はわからないが旅人達がでてきていて、仕事にありついた後、終わればほとんど逃げるようにまた次の町へ発つ。かつて、車で放浪していた私だが、はたして、今、旅は可能なのだろうかと思った。(12/Jul/1999 T.S.)

夜、このページを打っている。山小屋のそとは墨をながしたように真っ暗である。虫の声もふくろうの声もしない。時々蛾かなにかが突然窓をたたいて私を驚かせるくらいで、まるで深海に沈んだ潜水艦にとじこめられたのと同じ様だ。(14/Jul/1999 T.S.)

辰夫さんが逝った。昨年まで山仕事をしていたのに、あっという間だった。夏の山仕事のまえに、いつも幸雄さんとヒュッテに来てお茶をすすり、出かけていった。70は過ぎていたが、かつてはたいへんな力持ちであったという骨格は感じられていた。寡黙だが、ひとの話に「おーそーか」「おーそーか」とあいづちを打ちながら見せる微笑みは忘れない。(19/Aug/1999 T.S.)

お盆が過ぎて賑わいも一段落。泊まりもいないので、ふと風呂に入りたくなり、車を走らせいつもの温泉にいくと様子が変である。おばさんと管理人さんが話しているのを横から聞くと、どうも今日で店じまいらしい。最終日に来られた幸せと、この温泉が無くなってしまう悲しみとが相半ばした感じ。とにかく、のんびりと浸からせてもらう。村にある3つの中では、ここが一番湯がいいですよねと私が問うと、管理人さんは「泉質はいちばんだが、皆新しい湯にいってしまうんですよ」と言う。広くて綺麗で露天があるのがいい温泉と思っているやからが多いのである。日本人のセンスの欠落はこんなところにも現れている。あとで聞いたが、来年の7月には再建されるらしく、ほっと胸をなでおろす。しかし、どこにも張り紙もお知らせもないまま閉店というのもいきである。(21/Aug/1999 T.S.)

休みをとって実家へ。母の用事で車を走らせるが、「今年は空がきれいで、空気が澄んで遠くの山まではっきり見えて、なんだか気持ち悪いね。」という。そう言えば山との行き帰りに見る空や山がきれいだといつも感じていた。奥只見だからと思っていたら、里でも同じである。フェーン現象のなごりなのかとも思ったが「地震でもこなけりゃいいがね。」と母。(23/Aug/1999 T.S.)

山はもう秋の風情である。ススキは満開で朝晩も涼しい。アンニンゴ(うわずみざくら)の実が色づいたので収穫である。リキュールにするとシナモンの様な甘い香りになる。去年から採り始めたが、若い木と老木では実の感じが若干違う。老木のほうが色も形も旨そうだ。葡萄も老木のほうがいいワインが出来るが。実の成るものは見なそうなのかと思った。(26/Aug/1999 T.S.)

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