日記、あるいは、ある断章の提示
1999-4/15〜5/7




次期検事総長がほぼ決まっていた則定氏がスキャンダルで辞職したが、法務省はほとんど調査もせずに個人的な問題であるとして、たんに訓告しただけである。日本の役人や政治家など皆この程度の危機感である。他の人もやっているのだから別にイイジャンという台詞は今のぐれた若者のそれである。それにしても、銀座のママを愛人にして、業者から金を都合してもらうというのは実に陳腐で古典的な趣味である。検事総長といえばその世界のトップである。現在、日本の上層部の趣味はじつにお粗末。せめて超SMで変態の極致というのであれば三文小説くらいにはなるのに。(15/Apr/1999 T.S.)

CMなどで藤原N嬢がでていることが多い。世間ではそのスタイルの良さなどが受けているらしいのだが、私はまったく魅力を感じない。リアリティーがないのだ。少し前にバーチャルアイドルを作りだそうとしていたが、それに近い気がする。色気はなく存在感や現実感がないところが似ているし、少し間の抜けた顔も同じである。中性的なイメージで売っている広末嬢はもう少し古典的なアイドルではあるが、今のところ、こちらもバーチャル早大生であるらしい。(16/Apr/1999 T.S.)

久々に歌舞伎町のある焼肉店にいった。ここの売りはウルテ(軟骨)と数種ある子袋である。それらを堪能した我々であるが、前後して入ったカップルは普通の焼肉屋よろしくカルビやロースをたのんでいた。せっかくここでしかウルテが食べられないのにと思ったものである。ワンパターン化はモダニズムの一弊害でもあるのか、それとも感受性のにぶさと貧しい観察力を助長する教育のせいなのか。(17/Apr/1999 T.S.)

TBSでやっていた学級崩壊の特別番組をビデオにとってあって、今日の昼間に観た。ここでは教育問題を探るうち、番組内でおこなわれたセミナーに参加していた家族の家庭崩壊と学校の問題とが関連していることが分かってきていた。学級崩壊のかなりの部分は日本の家庭の崩壊との因果関係があるのではと思っていて、以前、私も戦後の核家族の危機を日記に書いた気がする。とはいっても戦前の家長中心のステロタイプな家族の復権を望んでいる訳でないのは当然ではある。(18/Apr/1999 T.S.)

このところ、趣味の問題にかかわるメモが多かったが、趣味について語るのにP・ブルデューを調べてみる。『ディスタンクシオン』は彼の1979年の著作で日本語版は1990年。私が大学で卒論を書いたのが1980-81年頃であるから、ほぼ同じ時代であったと言える。当時、全くこの著作は知らなかったが、『ディスタンクシオン』はアンケートをもとにした仏の階級と趣味、文化を分析し、私の卒論では出版物の写真を要素に分け統計的分析から社会の性格へのアプローチを試みた。もちろん私のものが大変稚拙であることは当然なのだが、分析のスタイルが似ているのは時代の流行だったのかなと思った。また、「階級」は仏と日本では違っているだろうが、与えられた民主主義からきている日本の脆弱さを考えるキーワードになるかも知れないとも思った。(19/Apr/1999 T.S.)

今日は実に暖かく心地よい。池袋近く、要町通りの五月もこの陽気でほぼ満開である。せっかく気持ち良く過ごせると思っているのに、午後にTVをつけると醜い野村夫人の顔が今日も現れる。過去の悪行の数々が表面化してきていると伝えているが、それでも若い女性の支持があるという。ジコチュー女子中高生は自身と似ていて共感をもっているようだ。自分に災いがなければ誰が迷惑しようがなんでもありである。ワイドショーのなかでも、彼女をのさばらせたマスコミの責任を問う声も少し出てきた。しかし、多くはこの話題で視聴率を稼ごうという姿勢がほとんどという状況である。(20/Apr/1999 T.S.)

久々に谷中のバーへ。12時すぎにいくと、ほとんど人気がない。1時からサッカーの決勝の放送があるのだ。マスターも観たいらしいので今日は2杯飲んで帰途につく。私は前の2試合を早朝にもかかわらず観ていた。決勝はボロ負けするのではとマスターに話していたら案の定完敗であった。しかし、日本のサッカーは強くなった。一般に貧しく不況の国がサッカーが強いから、日本の貧しさも一流になったという事か。(24/Apr/1999 T.S.)

NHKで21世紀の携帯電話のフォーマットに関する特許戦争を特集していた。特許戦争をしていた欧米の2社は提携して市場を独占する道を選んだ。特許による覇権はレーガン以後、米の戦略である。番組は特許によってベンチャー企業が世界のトップに登り、巨大な富を得ることを伝えていた。しかし、マイクロソフトに限らず独占企業に成り上がり的側面を感じる人は多そうである。また、特許による覇権はかつての植民地主義に似ていなくもない。先に旗を立てた者が島を征するという古い論理である。「金持ち喧嘩せず」とは日本の醜いおばさんの言であったが、これにも似ている。コソボの醜態もあり、米政府と覇権企業がテロの標的になる日は避けられない気がする。(25/Apr/1999 T.S.)

統一地方選が終わったが、それを待っていたように自自公でのガイドライン法案の合意である。日本が米国の属国であるに近い意味をもつかもしれない法案はあっさり決まった。ほとんど田舎芝居のような政治状況である。群馬では福祉を食い物にしていた市長が再選をはたしている。もう、日本沈没に皆で背をむけて山に籠もろう。(26/Apr/1999 T.S.)

NHKで「ロボットコンテスト」をやっていた。今回の優勝はタイの大学であった。日本の科学教育の崩壊が懸念されているが、これもその現れであろうか。小中学校のカリキュラムはどんどん軽減され、休日もふえて、ゆとりある教育が目指されているらしいが、その基礎学力の低下は著しいものがあるらしい。かつて数学オリンピックで日本の高校生がトップクラスをしめていたのは昔の話になってしまった。(29/Apr/1999 T.S.)

連休は田舎に帰っていた。鄙には珍しく本格的なカレー屋があり、帰ると必ず食事に寄る。この日も暖かくカレー日和。夫婦でやっている店は連休も開けていたようだ。食後のお茶を飲んでいると栃木ナンバーのベンツがきて、家族が入ってくる。本格的なカレーの知識がなさそうで、チャパティがわからず問うている。見るからにずうずうしうて、よくいる少し下品な田舎のファミリーという感じ。前のデザイン会社で、かつてバブルの頃であったが、日本におけるベンツがやくざの車といったイメージで困るので、なんとかならないかという問い合わせ(仕事だったかも知れない)がダイムラーベンツ社からがあった事を思い出した。(3/May/1999 T.S.)

ユーゴの中国大使館が誤爆をうけて、せっかく国連案がまとまりそうな時に水をさすかたちになりそうだ。ただ1人の米兵のミスが大きな変動を生む。とは言っても、これほど誤爆がつづくのは米国の兵隊の志気低下があるか、誤爆を許す米軍指揮官の指示があるかである。実は2000年問題も関係しているという説もある。ミサイルに組み込まれたコンピュータにも2000年問題があるため、その前に全部使ってしまいたいという米軍の都合である。とんでもない理屈だが十分ありうる。(7/May/1999 T.S.)

和歌山の砒素入りカレー事件。園部地区は新興住宅地区である。因果関係はあるか。(16/May/1999 T.S.)

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