日記、あるいは、ある断章の提示
1999-4/1〜14




自分のHPのために古い写真を整理しながらDATAにおとしていく。学生時代にいちばん真面目に取り組んでいたのは写真だった。昼に起きて学食でめしを喰い、重いカメラをたくさん持って東京を歩き回る。日が暮れて撮れなくなると大学へもどり、現像と焼き付けを深夜までつづける。毎日がこの繰り返しである。学業は散々であった。しかし、それまで数学と物理を愛する少年はそれまでと違った頭の使い方に目覚めた。写真を撮るという行為は論理を経ないという新しい脳のバランスの習得を意味していた。(1/Apr/1999 T.S.)

新座の友人宅近くの川の土手で花見である。H社のデザイナー達と奥方が集まり、人気のそれほどでもない場所を選んでのんびりと飲む。料理の得意な奥方は見事なお重を持参。鯛飯まで現地でつくり、我々は満腹で大満足。私は七輪をもっていったので、枝を拾ってきて小さな焚き火状態にして暖をとる。火を囲む楽しさは山でも里でも同じである。(3/Apr/1999 T.S.)

今日も花見である。谷中のバーの常連の集まりで、いつもの宴会場である墓地よこの桜並木は見事である。気温も上がり風もなく、ここ数年で最高のコンディション。当然、酒もすすむ。マスターの人徳か、いつも楽しいメンバーが集まる。たまたま若い女性達と隣り合わせて私はご機嫌。最近はバーにも1人で来る女性もいて、いい傾向だと思っている。飲みっぷりもマナーも悪くない。かつて私がバー勤めの頃は2人連れの女性には気を付けろというのが常識だったような気がする。たいして飲まずに長っ尻するからである。このところ、中年サラリーマンのほうが飲み方は醜いと思うことが多い。いまは昔といったところか。(4/Apr/1999 T.S.)

NHKでLinuxの話をやっていた。単に無料のOSであるというだけでなく、これまで国家や企業が情報を独占してきた事に風穴をあけるものとして注目されている。InterNetがあってはじめて実現したものであり、企業(IBMなど)もこれを無視できずに、どうやってこのやり方を吸収するのか模索状態だという。また、仕事の出来る人間は金を欲しがるという論理が通用しないという事は、現在の様々なシステムに反するものである。これで見えて来たのは、大企業主体の資本主義は帝国主義の一変形でもあったということか。(7/Apr/1999 T.S.)

同じくNHKの深夜に「街道をゆく」の再放送をしていた。会津の話である。明治維新前後における会津の悲劇は利害よりも道理を重んじるという気質が災いしたものである。私は飲んだくれた時、よく明治以降の近代を省みるべきだとわめくらしい。薩長のチンピラが造った歪んだ近代は平成までつづいているということなのだ。どこかLinuxの話と通じるところがあると思うのは私だけであろうか。私が生まれた町の山のむこうは会津。町中は戊申に戦場となり、白虎隊の慰霊碑もあった。子供の頃、祖父についていった墓参りのときには必ず慰霊碑に蝋燭と線香をあげた。(7/Apr/1999 T.S.)

中年向け男性誌の創刊が多いと聞く。そのなかで「Onore」に面白い記事があった。『不倫は紳士の文化であるか?』(越智良子)に「戦地で戦士たちの志気を高めるために『残された妻たちは愛する夫のために貞節を守り、しっかり家庭を守っている』という旗印が必要になってきた」そのため貞操という概念がもちこまれ、マーガレット・サンガー著『結婚のの幸福』という1人の男(または女)を生涯愛することが理想的な男女関係と説く本などを紹介し、なんと女史を日本に招聘し(1922)国会でも意見陳述させているという。ところがサンガー女史は自らの結婚生活では夫以外に10人ほどの男性との関係があったというおちである。『貞操』とは明治以降の日本で軍備にならぶ国策として誕生したらしい。(8/Apr/1999 T.S.)

友人達と温泉行きである。TVの仕事の運転手として同行する。監督や役者さんの他に、たまたまファッションモデルが一緒だった。コム・デ・ギャルソンなどの仕事をしているらしく、とにかくデカイ。彼女は和風の旅館と露天風呂を満喫している様子。ブルガリア出身で16歳のときに単身パリに出てモデルになったらしい。ブルガリアに埋もれていてはしょうがないと若者は思っているのだ。23ヶ国をめぐり、日本も5回目だという。なかなか押しも強くて外人らしいと思った。ユーゴはとなりで、彼女は自国に電話したときに戦火が感じられると話していたという。(10/Apr/1999 T.S.)

撮影も昨日で終わり、役者さんは踊りの練習があるといって朝食も早々に帰途についた。あいにくの雨のなか古道具屋などをめぐり、そば屋にいく。桜の名所も通るがさすがにほぼ終わっていた。夕方、東京にもどり選挙に行く。8時まで投票時間が延びたのは結構なことである。コンピュータ機器を使った投票も今回試験運用されたらしい。選挙速報の当選確実は意外に早かった。石原氏の圧勝に終わったが、青島氏に裏切られた都民の選択は最初から決まっていたとも言える。終盤、青島氏が鳩山氏を推薦したのは恥の上塗りといった感がある。せめて何故青島氏が様々な公約を実現できなかったかを公にすべきであったと思う。(11/Apr/1999 T.S.)

前述のモデル嬢は銀座で買った中古カメラで写真を撮っていて、私がそのシャッターの不良に気がついた。彼女は憤慨し、どうしようとパニック状態。17日にはロンドンへ行くので時間もないという。そして、今日、彼女と私の友人と3人でカメラ店へ行って交渉。別の物と後日交換してくれる事で一件落着。途中、彼女は「No Money! No Money!」と繰り返し、追加のお金は絶対に払わないと強硬な姿勢だった。帰りの横断歩道で車が私を押しのけるように走り去ると、彼女は車に向かって「クルクルパー!」と日本語で叫んだ。どこで覚えたのだろう。(12/Apr/1999 T.S.)

素晴らしい晴天であるが大風も吹いている。お昼ご飯のために買い物にでるが、気持ちがいいのと、桜が少し残っているので急きょ桜の下でお昼にする。スーパーで竹の子ご飯弁当を買い、桜を物色する。公園のなかにある保育園よこの桜に決める。八重はもう少しだった。山小屋の初夏の光を想わせた。(13/Apr/1999 T.S.)

統一地方選挙は終わったが、案の定、自民党執行部は都知事選の責任はとらなかった。しかし、小渕総理の支持率は持ち直しているという。日本人は不思議な国民だと見られるのは相変わらずであろう。内閣がそろったTVの画面を観て想った。小渕氏は権威も決定権もない総理を印象づけることで内閣におけるミニ天皇を演出しているのではないか。御前会議よろしく周りが決めた事を承認するだけでは、総理の責任問題は出てこないのである。(14/Apr/1999 T.S.)

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