日記、あるいは、ある断章の提示
1999-3/16〜30




東京に戻ってからほとんど自宅で料理はやらなかった。収入も限られているのに毎晩ほぼ外食(酒場)だったので懐も底をつきた。連れの要望もあって居酒屋「さくらい」の復活である。でも、だしはパックのもので済ませた。しばらく台所を使ってないので食材のたぐいは死にかかっている。再開にはコストがかかるのである。ずいぶん前から、友人など(妾や愛人ならもっといいか)が近所に住んでいて、数人のために私が主婦をやるのも面白いと思っていた。それぞれ自分の得意なことをやればいいのではないか。女性が働いて育児の好きな男性が皆の子供を預かってもいい。今の子供の無能と狂気は核家族に因するところも多いのではないかと思っている。大家族が失われて久しいが、つまらぬ常識にしばられない形態を模索すべきだし、古くは様々な家族、集団があった筈である。(16/Mar/1999 T.S.)

引き続き家族考。最近の遺伝子操作や体外受精など医療技術の進歩はめざましく、男でさえ子供を産めるということらしい。したがって、任意の男女を選び、また任意の妊婦(夫?)をお願いして子供をつくることもできるだろう。ということは自分の祖父と自分の娘の子供を男性の愛人に産んでもらえる訳だ。いったい戸籍はどうなるのか。こんなことは許されないと多くの人は言うだろうが、もし、縄文時代であれば問題ないであろう。モラルはかつてなかった。それぞれの文化がつくったものなのである。近親相姦は動物も嫌うが、このケースは遺伝子的にも大丈夫そうだ。最近、モラルの欠如をなげく輩は多いが、その生まれてきた背景やバリエーションを語ることはしない。オームの教義を叫ぶこととたいしてかわらない。(17/Mar/1999 T.S.)

5月なみの暖かさだという。沈丁花はそろそろ終わりだが、こぶしが満開でみごとだ。この辺は東京空襲でも焼け残っているので大木のこぶしが結構ある。のら猫どもも気持ち良さそうだ。入り口の引き戸を少し開けていると図々しく入ってくる。料理のにおいがするからだろうか。猫には及ばないが、私は以前ワイン屋に勤めていたこともあり、道を歩いていて家庭から漏れてくる香りで料理や食材がほぼ想像できる。嗅覚が鋭敏になったのではなく、臭いの情報を分析することを身体(脳)で覚えたのであろう。統計的に、嗅覚では若い女性が一番すぐれているらしいが、経験が無ければ感覚が捉えた情報を言葉や形にはできない。食三代と言われる所以であろう。(18/Mar/1999 T.S.)

連休である。しかし、長屋で穴居人のようにすごす。個人のホームページを立ち上げたので、メンテナンスを続けたりしている。当然、生活時間もずれてくる。雨戸を閉め切っているのでなおさらである。かつて、体内時計を調べるため全く隔離された洞窟のなかでの実験があったというが、その時に計測された体内時計による1日は24時間でなく25時間位だったという。実は地球の自転はだんだん速くなってきていて、数億年(か数十億年)前の生物の記憶が残っているのだという。(20/Mar/1999 T.S.)

数日前、モラルの話を少し書いたのだが、たしかモラルは趣味の問題だとなにかに書いてあったと思う。気になって書物を探してみる。「道徳とは趣味の問題であることを知らないのは、広く一般に流布している野蛮さの形態である。(中略)道徳文学と宗教文学はもっとも欺瞞的なものである。(中略)宗教の戦争と平行して道徳の戦争がおこなわれている。(中略)この戦いはいっそう血なまぐさいもの、いっそう可視的なものになるだろう。われわれはまだその始まりの場所にいるにすぎないのだ。」『ニーチェと悪循環』P・クロソウスキー、1975におけるニーチェの引用部分にあった。(23/Mar/1999 T.S.)

昨日は北朝鮮(たぶん)の船でひと騒動あって、深夜、写真の整理をしながらTVをつけていた。現場の自衛官達にとっては演習気分であろう。たかが2漁船に駆逐艦だのP3Cで爆撃とは大げさである。政治家の指示によるのは見え見えで、ガイドライン法案を通すためのパフォーマンスである。今日はコソボでまたドンパチが始まる気配だという。アメリカはベトナム以降なにも学んでいない。一般に人は歳とともに成長するが国はしないということか。(24/Mar/1999 T.S.)

久々にMacPLUSを引きずり出してゲームをする。お気に入りのSTRATEGIC CONQUESTである。これは戦争ゲームではあるが兵站ゲームである。戦争とはほぼ兵站戦そのものであることはあまり語られない。知っていれば前線と後方という区別などなく、ガイドラインの事や憲法との問題点が明らかになってしまうので政治家はふれないようにしているだけである。(25/Mar/1999 T.S.)

日曜日の昼下がり、山梨の温泉へドライブ。上り斜線はすでに大渋滞。6時までに到着すればいいので、こちらは下り車線をスイスイ走らせる。もう陽も暮れかかる頃村の浴場へ着き、ぬるい湯で身体をほぐし国道をのんびりもどる。自宅の近所で食事もすませ深夜に帰ると日本TVで「日独裁判官物語」という映画制作のドキュメンタリーをやっている。5/3から上映されるらしく、日本の官僚裁判官の無惨さを教えてくれていた。前の会社の近くに最高裁があり、見る度にバスチーユの監獄のような姿におぞましさを覚えたものである。戦前の裁判官がそのまま残ってきたのだから、まともな判決を期待するほうが間違っているとも言える。最高裁を大砲で撃つ以外に方法はないのであろうか。(27/Mar/1999 T.S.)

日本のアニメが海外で受け入れられ、しかも流行っているし評価もされているという。出てくる最近の作品など中年の私には全く知らないものばかり。キャラクターグッズ店もかしこにあり、「おたく」も生息している。貿易赤字などの問題も起こさずに文化を輸出できるのだから申し分ないと言える。(28/Mar/1999 T.S.)

コソボは案の定泥沼化しつつあるようだ。コソボの住民の虐殺を誘発する事態へとすすみ、難民も膨大になってきているとNewsが伝えている。NATOは陸上部隊を投入する以外に目的を達する手段はなくなってしまった。囲碁や将棋でも選択枝の少なくなるのは状況が悪いことを示している。セルビア人気質などNATO軍の指揮官は知らないというのであろうか。アメリカはいつもそうだった。ベトナムもイラクも。俺が俺がとしゃしゃりでる図体の大きな小学生はいまも健在である。(29/Mar/1999 T.S.)

中学生くらいの女の子になにになりたいかと問えば、歌手やタレントという答えが多いらしい。自己顕示の欲求が大きいのかとも思うが、一発当てたいという発想ではないかと考える。資本主義だけが教義の現代では当然の結論とも言える。拝金主義を憂う声はあってもシステムの問題なのだし、システムの中央にいる人々は自分を育んだものを否定する筈もない。私が崇拝するロベール・ブレッソンの映画「ラルジャン」を観せても、子供達は何も感じないのではないかという気がしてならない。(30/Mar/1999 T.S.)

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