日記、あるいは、ある断章の提示

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また14才の少年達による凶行。図書館で騒いでいたのを怒られたことへの仕返しであるという。「報復は正義である」という大人達はこれを断罪できるのか。幼稚な正義がどんなものかを物語る。同居人の実家はおなじ東村山、「昔はそぼくな子供ばかりだったんだけどね」というが、最近はベッドタウン化しているという。神戸の酒鬼薔薇事件も新興住宅地であった。この辺の指摘はまえにもしている。地域コミュニティの問題について地道なアプローチが必要なのだ。
国会ではNGO出席問題でのごたごた。官僚と政治家の関係を分かり易くみせたという意味では良かったとも言える。次回の選挙で田中真紀子女史が北海道で立候補し、鈴木氏と闘うというのはどうだろう。田中支持のひとは北海道に住民票をたくさんうつせば面白いか。ともかく民主主義なんて日本には似合わないという事かも知れないと前から思っていた。県単位(他でも良い)の連邦制にして、民主主義でも社会主義でも封建制でもすべて許して、それぞれ違う体制で競えばいいのでは。(28/Jan/2002 T.S.)

今晩は冷えそうだ。明日は雪になるかも知れないという予報。いつもの場末の居酒屋は給料日で賑わっていた。とんでもなく急な階段でよっぱらいが落ちるかと心配したが、皆さん無事に帰途につかれたようだ。おかみさんの実家の島でとれたというタコが旨かった。
NHKで大塩平八郎を取り上げていた。当時の幕府にしてみれば明らかに大塩はテロリストである。幕府のとてつもない腐敗に決起した大塩であり、明治維新へのおおきな転機であって、今の日本にもタイムリーな話題でもある。選挙が4年に一度しかない現行制度(しかも一票の格差はべらぼう)では早急な改革は望めない。はたして日本に於ける革命はテロリストから始まるのか。テロリストが、なぜテロリストになったのかという問題点はマスコミ上では全く語られていない気がする。(25/Jan/2002 T.S.)

昨日からアフガン復興会議がはじまったが、車より熊の通行量が多い道路をつくらせたことで有名な鈴木宗男チンピラ議員の横やりでNGOメンバーが会議に参加できないごたごたがあった。こいつは生きていること自体が犯罪といえそうな野郎ですね。でもアフガンについて、日本が復興の中心的役割を担うことが希望されているし、実際に民間のさまざまなスタッフが仕事をしている。
「アフガン難民を支える会」http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/address.htm
「オバハンからの緊急レポート」http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/obahan.htm
しかし、いろいろHPを検索してみると、米国の報復に対する憤りや日本のマスコミのていたらくを指摘する意見はあちこちに出ている。米国のネット上でもそうらしい。ブッシュの支持率がまだ85%というのには笑ってしまうが、良識ある人は皆無ではないということ。
教育用パソコンに関するマイクロソフトのきたないやり方にアップルのS・ジョブズが異議をとなえてるし(Mac Power2月号)、サン・マイクロシステムズなどもM社の「パスポート」による情報の独占に対抗しようとしている。独占や覇権を進めるひとばかりではないのだ。(22/Jan/2002 T.S.)

とてつもなく暖かい日。入手は遅くなったが「SWITCH」1月号で池澤夏樹氏がテロ以降について書き続けていることなどが掲載されている。是非ご参考にされたい。池澤氏のHPは下記で、メーリングリストの登録をすれば随時送ってくれる。
http://www.impala.jp/
米国のずるがしこさをぼろくそ言う方々が少しずつ表にでてきているのは嬉しい限り。今日のニュースでビンラディンがソマリアに逃げたとの情報が報道されている(もちろん受け売りNHK)が、ソマリアを叩きたい米国の思惑に一致していてふしぎではないか?
MacのiTunesに手持ちのCDを入力しはじめる。作業は膨大になりそうだが、入れてしまってiPodとFMへ飛ばす機器を購入すれば、車にカセットやCD、MDはいらない。山小屋にCDを持っていく必要もなくなる、アンプとiPodまたはiBookだけでBGMは万全。でもかける時にジャケットが欲しいなとは思いますね。レコードからCDになった時もジャケットの問題はあったね。かけているCDのジャケットがiBookの液晶に表示されていればいいのだが。あそうかMacも米国製だったね。でもみんなが嫌いなM社でないけど。(えっ、嫌いじゃないの?そりゃセンスが悪い)(15/Jan/2002 T.S.)

今日は渋谷のブンカムラで開催されている「ウイーン分離派」展へ足をはこぶ。それほど混んでなくてよかった。今年度ヒュッテを整備するときのヒントを得た感じ。とは言ってもヒュッテをああいうデザインにするという訳ではないでしょうけど。
途中、山手線に久々に乗った。人をたくさん見るのと広告を観るのも久しぶり。広告に使われている色使いは1970年代の感じに近いように思われた。とはいっても電車脇に次々にあらわれる広告はじつに様々だしまったくとりとめ(デザインのことではない)がない。時代の意志というものを感じさせないのだ。たぶんそれを作ることにかかわっている人々が単に仕事として流しているのだろう。そう、ただビジネスでしかないのですね。もちろん自身への反省もあってこう書いている。
そして家に帰ってTVをつけて観ているとNHKスペシャルで川久保玲を取り上げていた。これもいい刺激になる。ヨーロッパで彼女は20世紀を代表するデザイナーとしてココ・シャネルと並んで支持されている。つねに新しい挑戦を続けていること。そしてその製作プロセスが他のデザイナーと全く違っているのだ。番組の最後の彼女の言葉にあるように「他に、もっと美しいものはたくさんある」ということを提示し続けているのだ。知性無くしては見つけられない美しさもあるということ。
グローバリズムの問題点はここにも見つけられた。そう、すべてはビジネスから発想されていていること。ひとつの豊かさのみを主張すること。一昨年、私がヒュッテに来た子供達に言った「豊かさはたくさんある」という意識とはあい反するものなのだ。(12/Jan/2002 T.S.)

運動不足だしコーヒ豆がなくなったので牛込まで散歩する。牛込北町までの裏の路地はけっこういい感じ。マンデリンのローストの強い奴を買って、パン屋にもよってバタールを買い、袋を片手にぶらさげてまた違う小道を帰る。近いところなのに知らない道があって、なかなか風情もあり楽しい散歩。家が近づくころには陽が暮れて西の空はちょっと夕焼けできれい。風があるのでちぎれた雲が半分オレンジ色に染まりながら走っていく。薄暮のころは商店街に灯りがともりはじめて一番好きな時間帯。学生のころ下町へかよっては写真を撮っていたがいい絵がとれるのはこの時間。殺伐としたニュースが多いこの頃であったからホットして精神衛生上も良かったことだろう。(11/Jan/2002 T.S.)

セスナ自爆に関してはやはり米国ではまったく考えられないと言う一般の反応らしいですね。子供であろうと非国民がいるはずがないという意識は作り物のようだ。
警察のことを書いたが、これはずっと前から思っていたこと。最近も愛人を殺害した警官のことが報道されているが、これは一般人と同じ事。神奈川県警をはじめとしたシステムからくる不祥事などの方が根が深い。犯人の検挙率が下がっているし、キャリア制度や内部での点数制による人事などが大きいのだろう。学生の頃高速道路の設計もかじったが、車の速度は時速120kmで設計してあるのにお巡りは100kmで取り締まれる。いつでもどこでも恣意的に捕まえるだけ。国民全てを犯罪者に出来るような仕組みで合法的にカツ上げする訳だ。本当の犯罪者を捕まえるのはめんどくさいから、犯罪者や違反者を作って捕まえて成績を上げるという安易で不毛で不純な意識。
昨年の交通事故死が久々に9000人を割って、警察の速度取り締まりが効果をみせたとNHKが伝えていたが、実は車の衝突安全性がこの数年で大きく改善された(とくに小型車)からなので、NHKは嘘を言っているか言わされているかということ。他の報道も同様と気を付けるべき。
アフガンのニュースが減った。ビン・ラディンはどうしたの。捕まえて裁判にかけるのが目的で爆撃したんじゃなかったっけ。(10/Jan/2002 T.S.)

もう新年です。米国で高校生がセスナで高層ビルにつっこんで自殺して、ビン・ラディンに共感したらしいことも報道されてはいる。大変成績優秀であったのに何故、という反応らしい。こういう反応は日本も米国も同じようだ。簡単に言えば米国にうんざりしてこんな国で生きていきたくないということではないのか。大統領はアホだし大衆はかんたんにだまされるし、きっと自分が大人になる頃は世界中からテロリストが米国人を殺しにくるのではと悲観したのではないか。子供とは未熟な大人ではない。大人のずるいシステムとの折り合いの付け方を知らないだけなのだ。優秀であればあるほどシステムの矛盾が観えてしまうのだから、フォローしてあげる隣人が欲しい。まわりの平凡な子供などの友人では役にたたないのだから、まともな(ずるくない)大人が必要だ。(7/Jan/2002 T.S.)


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