日記、あるいは、ある断章の提示

11/21〜12/28



「現代思想1月号」はP・ヴィリリオの特集。このところ注目されていますね。今回のテロ以降取り上げられるのは、15〜20年も前のヴィリリオの言説が現実になってきたから。しかし日本で取り上げられたのはバブルのころで、そのバブル気分にあわせて曲解されていたこと。また、現在でもマスコミで取り上げられることはなく、現在思想誌上や一般紙では浅田彰氏と田中康夫氏などの対談に出て来るくらい。しかも浅田氏+田中氏の対談が売りだった月刊誌が突然の廃刊。日本では今回のテロ〜アフガン空爆についての分析はするなと言っているようなものかと感じてしまう。でもきっと本屋にいけばヴィリリオのものは手にはいるから、是非ご一読を。とは言いながら私が持っているヴィリリオの本は山小屋に置いてきて、今は雪の中です。
でも1980年代に私がたまたまヴィリリオの本を本屋の書棚から手にしたのはまあ偶然でしょうね。しかし偶然をどうやってに入れるかが大事。たぶんそれはセンスを手に入れることと同じでしょう。ヴィリリオはもと都市計画家で写真家であり哲学家でも戦争についての専門家ではなかったのですよね。私の経歴で都市計画と写真が重なるっているので親近感はある。それにしてもTVやマスコミには戦争の細事ばかりが報道されて、分析を放棄しているのは情けない。ビンラディンがどこにいるとか生きているか死んでいるか、家族はどうしたなど芸能レポーターと同じ意識である。(28/Dec/2001 T.S.)

「広告」誌1月号の特集は「アースディマネー」。地域通貨である。<シブヤプロジェクト>として様々な工夫がされていてなかに「都市と農村の交流」という項目もある。田舎でも地域通貨の話をだしたことはあるが、とびついてはこなかった。実家のある小出郷では町村の合併問題が大詰めを迎えつつあるが、合併に際して大きな補助金がもらえるから(9割以上は建設土木予算や借金の棒引き)というなさけない実体である。自らプロジェクトを起こしていこうという話は聞かないし、ダムの建設中止問題で村のなかでのいじめがあり、自殺者もでているというおぞましさ。(26/Dec/2001 T.S.)

今日はクリスマスである。でも街はなんだか静かですね。実際私もクリスマスパーティなんてやってないし同居人の年賀状(今頃?)の印刷のために東奔西走していた。また他でもコンピューターウイルスのために修復を頼まれていろいろインストールしまくって飯をおごってもらったりという年の暮れ。夜中にTVをつけていたら小田和正のライブを延々やっていた。かつてオフコースがたいして売れていない頃、当時の彼女とコンサート(当時はライブと言わなかった)にいったという懐かしい思い出がよみがえる。同じ時間帯NHKではABBAなんかやってるし、なんだかタイムマシンに乗ってしまった感じ。ABBAはもとビョルン&ベニーという男性2人組だったことを知ってるかな?
小田さんのライブに来てた人は30才代の女性が多かったみたいだけど、きっとオフコースのころからのファンなのだろうね。小田さんの頑固さと完全主義さはまえから見習うところがあると思ってきた。(25/Dec/2001 T.S.)

クリスマスイブには皆あいかわらず仏または伊料理なんかにお出かけなんでしょうか?私はいつものように新大久保の駒忠(居酒屋)にいった。そしたらマスターが「クリスマスこそ駒忠だね!」と笑っていた。子供の頃は新潟の山の中だからいつもホワイトクリスマスで。庭の木を切ってツリーを作って飾り付けするのが楽しかった。サンタの蝋燭なんてあったな。ツリーの雪は綿を使ってましたね。
幼稚園は教会だったので、イエス様が生まれるまでの劇を皆でやって、最後に貫禄のある牧師先生がサンタになって出てきた。カソリックだかプロテスタントだかは覚えていないし、幼稚園を卒業してからキリスト教徒になった人がいるかどうかもわからないけど先生達(日本人)は皆優しかったと覚えている。今、イアスラムの原理主義がどうとか言ってるけど、もともと米国はヨーロッバのキリスト教原理主義者が逃げてきて作った国なんだよね。だからジコチューで他人の言うことを全く聞かないのだ。私の行った幼稚園の先生とまったく違っているのは何故。(24/Dec/2001 T.S.)

昨日の雪がうそのようにいい天気。たまった洗濯物のためランドリーへ。風は強い。「SIGHT」のバックナンバーが早稲田の書店にあってすぐに購入。「エスクァイア」2月号は集合住宅特集。最近はブームのようで様々な雑誌でインテリアや住宅特集が組まれている。来年の夏には山小屋に小さな別荘でも手作りしたいと考えている私にとって、ヒントを探すにはいい傾向。でも少し前に「GQ」誌が廃刊になっていて、私が購読する雑誌がことごとく廃刊に追い込まれているので「エスクァイア」は大丈夫かとちょっと心配も。(22/Dec/2001 T.S.)

アフガン問題については「SIGHT」誌が秀逸な問いかけをしていた。11月増刊のタイトルは『「報復は不毛」と日本のメディアはなぜ言えなかったのか』である。残念ながら田舎にいて入手していなかったのでこれからバックナンバーを探すところ。現在書店にある号では18年間アフガンで NGOとして医療活動を続けてきた中村哲氏のインタビューがあるので是非お読み下さい。私が感じていたことを裏付ける事実が語られている。
最近コンピュータウイルスが流行っていたようで、私のところにも毎日3、4通ウイルスメールが来ていた。ウイルスどころか、かつて米偵察機が中国に捕獲されたときにサイバー戦争は起こっていた。米中のハッカーが互いの国のサイトを攻撃しあっていたのだ。小さな小競り合いではあったが将来のサイバー戦争をかいま見せてくれたし、ハッカーを米政府が裏であやつっていることも明らかになった。詳しくは「日経サイエンス・2002・1月号」。
東京に初雪。降ると言われていたがスクーターで出掛けていた。気が付くともうみぞれ。スクーターを飛ばすと顔にビシビシとあられに近い雪があたる。しかも出掛けた直後に白バイに捕まって速度オーバーで1万円かつあげされた。スクーターが50kmで走っているのは当たり前なのにね。日本の警察は信用できないという気分は増大した。だれか第4交通機動隊(堀木警部補)にテロかハッキングをかけて下さい(私は口先テロリスト)。宜しくお願いします。(21/Dec/2001 T.S.)

親父が交通事故で入院し、急遽実家へもどり母親と交代で病院へつめる。外傷はたいしたことないが頭を打っているのでパーになってしまった。まるで痴呆で、少し元気になったらベッドの上であばれる。1週間近くなったところでやっと正気のこともあるようになって母親とともにほっと一息。体力のある痴呆をもった家族はたいへんだろうということがよく分かった。これまで父親は時々具合が悪い様子で、いつもすぐ死ぬと自分で言っていたが、もう死ぬ死ぬと自分で言う人間に限って周りに迷惑をかけながら生きていくのだろう。
久々に大きな本屋へ行った。当然散財してしまう。「反グローバリズム、新しいユートピアとしての博愛」というJ・アタリの本も買った。博愛という言葉は気恥ずかしいが、新たなユートピア思想というところでは、4年前、山小屋行きを決めてから思っていたことと近い感じがある。たまたまNYのテロとアフガンへの空爆というタイミングで出版されている。以前、インターネット上で世論操作された感じの書き込みが多いことを憂いたが、最近は米国のやりかたへの反感を込めた書き込みが多くなっているようだ。新聞をはじめとしてマスコミはまだまだ情報操作されている感じではあるが、もし未だに米国を無条件で支持する野郎がいたらよっぽどの阿呆であろうと思うこの頃である。米国は圧倒的に腕力の強い痴呆であるとも言える。(11/Dec/2001 T.S.)

はや師走。でも山の11月に比べても寒くない。街は皇太子妃の出産にわいているようだが、アフガンではさらに空爆が激しさを増しているようで難民もふえ、一般人の死傷も増えている。ニューヨークの死者は最初6千人を超えると言われていたのに実は3千人くらいだと言うことが分かった、たぶんすぐに分かっていたのだが戦意を高めるために6千人ということにしていたのであろう。これも日本の戦中の大本営発表を思わせる。3千人の一般人を殺したのであれであればすでにニューヨークの分の仕返しは済んだかとも思うが、米国人の命はアフガン人の命の数十倍の価値があると米国人は考えているであろうから、もっと殺したいと考えているでしょうね。
イスラエルでは自爆テロが連続し、アラファトが多くの過激派を拘束していて、これはこれまでにない展開である。しかし米国は和平への窓口がアラファト以外にないにもかかわらず、最近アラファトを非難してきた(つまりブッシュが)。もしアラファトが死んだりパレスチナでの力を失ったりすれば、和平は全く見えなくなってしまうのにである。その時は力でねじ伏せるというのが米国の考えなのであろうか。とにかくあまりにも時代遅れな米国トップの頭の中という感じである。今回のアフガンでで勝利したとしても、あまりに多くの反米意識をもった子供達(テロリストの種)をアフガンにつくったか知れない。(3/Dec/2001 T.S.)

アフガンはとりあえず戦争については最終局面のようであるが、米国は次にイラクへの攻撃を視野に入れているらしい。でも結局さまざまな紛争の種は米国自身がまいた物が多いという事への反省などもちろん全くない。9月11日以降、J・レノンの「イマジン」が放送を禁止または自粛されていたらしく、とんでもない国だなとあきれる(オノ・ヨーコが新聞にイマジンの歌詞の全面広告を出したことはたいへんな勇気であると言われている)。自由や民主主義を唱えながらやってることは馬鹿丸出しの全体主義である。自由主義や民主主義自体が矛盾をはらんでいるのではあるが、国家という入れ物に入れるとさらにその矛盾と欺瞞が分かり易くなると言う事だ。
暗い話が多いが、私のノドの腫れは落ち着いてやっと酒を少し飲んでいる。今朝は一番の冷え込みというが山の11月初めよりずっと暖かい。スクーターを走らせ友人の工芸作家の個展に行き、知人のギャラリー兼カフェで美味しいコーヒーを飲んで、豆を売ってもらい帰宅。ヒュッテでもライブをやってくれた中村さんの新しいアルバムをかけながらこれを書いている。どこも不景気はいっしょのようではあり、ヒュッテも経営が楽な訳ではないが4回の夏をなんとかやりくりして、来年は新たな局面だと考えている。小白沢ヒュッテだけでなく、周りも含めて動きを作りたい。様々な友人達の協力を仰ぐことになりそうなので宜しくね。無料での宿泊枠を多く取り、長くヒュッテに滞在してもらって環境整備を考え実行する。樹上に家を造りたい人がいればやってもらってかまわない。畑をやりたい人がいたら場所を紹介しよう。草刈り機とチェンソーを使えるようになった人が増えると嬉しい。少し離れてはいるが峠で携帯(ドコモ)が通じる場所があるので、そこに仮設小屋を造って絶景のSOHOとしたい、などなど。(26/Nov/2001 T.S.)

今は山を降りて新宿にいます。気がゆるんだせいか、持病の鼻ノドを腫らせて具合が悪く、酒を飲まない日々が続いています。下界にきてからはTVを存分に観ていますね。なにせ山ではBSしか入らなかった。でもアフガン情勢については山にいても下界にいてもそれほど情報量は変わりませんね。この1、2週間でめまぐるしく変化があり、ビンラディン包囲網も狭まっているらしいのですが、はたして捕捉されるでしょうか?米国としてはめんどくさい裁判はしたくないでしょうし、自らの手で殺すとイスラムからの反感もあってあまり得策ではないので、内輪もめで殺されたのだという解釈がとられるような形での殺害が考えられます。
本当はさらなる爆撃とアフガンへの干渉のための口実としてしばらく生かしておくという思惑だったと思われますが、北部同盟の一部が走ってしまったため、あっという間に以前の内戦状態へと逆戻りの様相です。ビンラディンのことはともかく、アフガンの政治状況はまったく先が見えないし、国連の入っていきかたも実に難しそうです。米国はタリバン以降のシナリオを持たずに戦争を始めてしまったという事なのです。そしてこの戦争でアフガンでは少なくとも数千人が死亡したと思われます。正義だ自由だと言っても所詮人殺しであることではビンラディンもブッシュも同じだと言うことですね。(21/Nov/2001 T.S.)


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