日記、あるいは、ある断章の提示
3/6〜5/17



国会中継が高視聴率であるということだ。あいかわらず小泉人気ではあるが、小泉氏は支持するが自民党を支持している訳ではないという感じをもたせる調査報告もある。しかし予算委員会での自由党の外務省出身の議員には皆あきれているであろう。最後に「130年にわたる歴史が」どうのというくだりで、官僚とはこんなものかとほとんどの国民は苦笑しいる筈。

京都の「メル友」殺人の容疑者が捕まったが、まわりの人はいい人だったのにとか、信じられないとかという反応だ。これまで凶悪事件が起こるたびに同じ様な見解を周囲の人が述べている画面が出てくる。最近の事件に関して分析不可能とか不可解と表現するマスコミが多い。私が取材したわけではないので言い切れないが、事件などへの分析能力の欠如はステレオタイプの取材や番組作りしかしていない事と対応しているのではないか。(17/May/2001 T.S.)

ちょっと日記が空きました。日記の順序を一般にやられているように上をカレントなものに反転させました。請負仕事も一時の忙しさから少しのんびり、やっと山小屋の準備のことを考えられます。すでに貸し切りの予約も入っているのです。でも今年も雪が多く、開業はいつになるやら。

自民党の総裁選は小泉氏が党員票を圧倒的に集めている。まずは組閣がどういった形になるかが見物。橋本氏はこれでかなり力をそがれる事になるが、これもある程度野中組のシナリオの一部でもある。本当は橋本氏を総裁にして置いて参院選が負けたところでに降ろす予定。橋本派内の主導権を9月以降取るつもりだったはずだ。たとえ小泉氏が勝って参院選が大負けしなかったとしても9月に総裁選をもう一度行うことになっているから、この時にむけて一般党員をはずした選挙にして橋本派(野中派?)の主導権をとりもどすという魂胆なのだろう。ただ、野中組の思惑は少しずつずれてきている。ヤクザの子分は親分の言うことを聞くが、国民や自民党員はそうでもなかったと言うこと。それにしても全国の一般党員選挙のまえに橋本氏指示を表明してしまった堀内派はまったくばつが悪い。加糖氏を裏切って橋本派別働隊となったとたん自民党の中枢からはずれることになるのだからアホ呼ばわりされることは間違いない。

NHKの番組にピー子氏(女史?)がレギュラーで出ているようだ。NHKも隔世の感がありますね。あと他の番組で意欲的というかまっとうなものがある。夜にシリーズの再放送をしていたのだが「日本の宿題・学校」の一連のもの。学校の問題点や新しい試みを的確に伝えているし、改革が始まっているとか、皆で改革を押し進めなければという気持ちにさせてくれる。世の中の学校には無能で反動的な先生や教育長ばばりではないことを知らされた。NHKは停滞しているなとしばらく思っていたが頼もしい限り。日本TVが民主党のCMの内容に検閲まがいのチェックを入れるという恥ずかしい行為をはじめ、民放のていたらくとは決別してきた感じをもった。(21/Apr/2001 T.S.)

エイズ感染の裁判で安部教授に無罪が下されたが、疑問の声がいっせいにあがっている。一部新聞では、裁判官のなかに安部氏の東大医学部の後輩にあたる人物がいて影響があったと伝えている。裁判において身内をひいきする判断が下されるようでは、他の審判についても公正さは期待できないであろう。先日の福岡の判事の妻と判事・検事達の事件もあったし、日本の裁判への不審感はさらに大きくなるだろう。ただ、これは裁判官だけの話ではなく、昨今の警察や政治家にしても本来の自らの職業にたいして必要なことはどういったことかなど全く考えずに、限られた人間の利益と自己保身を優先しているという事なのだろう。

桜はもう満開である。思いの外早い満開にこまった人はいませんか。谷中のバーの常連が集まっての花見が4/8の予定なので心配していたが、葉桜見物になるのはもうしかたがないか。以前、桜を追って旅をしたが今年は用事が多くてむつかしそう。弘前の桜も見事だし、山形では大きな桜の古木のよこで宴会と野宿をした。東京などの花見客は昔よりは派手でなくなっている気はする。とにかく花見といえばうるさかった。あまり大騒ぎする飲み会は好きでなかったので閉口して、人気の少ないところを探していた。(29/Mar/2001 T.S.)

先日TVに野田聖子女史がでていた。TVにはこれまで出なかったという。確かに話しぶりはまったく要を得ずにぶい。古賀幹事長の子飼いであることは今回知ったが、TVでも自分の見解は述べられず、古賀に聞いてみるとか古賀に話ておきますとか全く子供の使いというかヤクザのパシリ程度。いろいろ総理候補がでていてその中に野田女史の名前があるのは、山のにぎわいという意味で出してきたのか。しかし、自分は総理大臣になりたいと言ってのけるずうずうしさには唖然。欲だけは一人前だが、正面の顔はあまりさえないのでTVに出るときは少しまともに見える角度だけをカメラに要求したほうが賢明。
その古賀氏が率いる堀内派は加藤派から分かれた訳だが、結果からみれば加藤氏を追い落として、派をぶんどったかたちになっていて、たぶん「加藤の乱」は古賀氏(または野中氏)の仕掛けだったのだろう。ただ、国民が派閥の問題とは別の国会への本質的な要求に目覚めてしまったことが古賀氏の誤算ではあった。

千葉県ではまた無党派の堂本女史が知事に。さっそくマスコミは議会との軋轢を心配しているし、まあそこがつらいところだが、福田官房長官が「無党派ブームを利用しただけで何もできない・・」ような発言をしていた。ドロ船の上でまだふんぞり返っているのが滑稽でもある。(26/Mar/2001 T.S.)

今日は桜の開花宣言となった。沈丁花も満開で、さて花見はどうしようかと皆そわそわしだす季節。空ではミールが落ちてきた。一時はロシアの技術が信頼できないとかいって心配する報道もあったが、終わってみれば予定通りの着水。米のタコス屋が、的に当たったら米国民全員にタコスをタダにすると言っていたが、もちろんはずれた。せめて着水予定地点に的を置いて欲しかった。ミールの問題点はバッテリーの劣化が大きな問題だったらしいが、それは手元にある携帯電話やデジカメなどがかかえている問題と一緒。劣化しない電池を作れば大儲けできますよ。

少し前に日産の話をしていて(TV12)、ヘッドハンティングされたデザイン部長が出ていた。CFにでているあの人である。ヘッドハンティングの事は知らなかった。「いすず」から来たということで、ジェミニのデザインをしたという。私はジェミニに長い間乗った。年に3万kmというタクシー並の走行距離で16万km以上乗った。林道も走ったし、沖縄を除いて日本全土を走破した。しかし、日産の数百人いるデザイナーのトップに突然もってくるというのも凄い。これもゴーン氏でなければ出来なかったのであれば、日本の首相を海外からヘッドハンティングをしようという話がでてもしかたがないか。

3月だから番組が終わる。「ロケット・ボーイ」も今週最終回であったが、まとめに入った感じで切れ味がない。
ロッキングオンJAPAN誌で浜崎あゆみのロングインタビューをしている。「あゆ」のCDはもちろん買ったことはない。でもTVでは観ていて、アイドル歌手とはちょっと違うかなとは思っていた。演歌も似合いそうだし、場末のスナックのママでもやって、「昔、いろいろあったのよ」って感じを私はもっていた。記事は全くチェック・修正なしという条件で行われ、インタビューそのままが載っている。一般には事務所のチェックが入って都合のいいように書き換えられるらしい。それをしなかったし、自分のCDの問題点も、子供の頃からのきわどい話もそのまま語っている。普通、アイドルが全盛を過ぎたころに「暴露本」や「ヌード写真集」をだすのが一般的な戦略だから、ピークのこの時期になんでというのが芸能界の普通の反応だろう。でも芸能界での普通が本当の普通ではないのは永田町の常識が市民の普通とかけはなれているのと同じだし、すべての業界に言えることだ。「あゆ」が自分のなかの普通を押し通すことをこれからも期待する。(23/Mar/2001 T.S.)

辞めるのか辞めないのかよく分からない森氏の発言の後、後継総裁の候補に野田聖子女史の名前まで出てきた。一時は扇ばあさんという話もあった。さては「つんく」をまねてモーニングオバサン(もしくはババア)を気取るつもりか。メンバー(首相)が入れ替わってもプロデューサーは変わらないところを見せたいのか。

NHKでバルチュスの再放送をしていた。よく知らない女の作家がバルチュスのファンだと言って家に押し掛けているのだが、これがひどい。まったくインタビューになっていないし、通訳をつれてかないためバルチュスの奥さんに通訳を強いている。スタッフもバルチュスの事を知らないようで、初めてアトリエを撮影させてくれると言うのに強いライトをぎらぎら照らしてバルチュスを怒らせてしまった。バルチュスが日本で何度か個展をしたときの必須の条件は北側の採光がいい事だったのだ。バルチュスは貴族の家系で兄はクロソウスキー、子供の頃リルケとも親交があって、NHKのチンピラどもとは話が合う筈もないのだ。(12/Mar/2001 T.S.)

先日ふれたTVドラマ「ロケット・ボーイ」の脚本は宮藤官九郎氏で、若手の注目株であるということだ。劇団に所属し、脚本も書いているらしい。「Quick Japan」誌でも特集をしていた。売れっ子になっているのだが、これまでの脚本家とはひと味ちがったキャラクターのようでもある。「俗欲」というものがあまり感じられなくて、強欲な人たちの時代はやっと終わるのかなという感じ。

その強欲な人たちの話。政界は森退陣がすぐそこといったところであるが、結局、野中・古賀・青木組が金丸時代のまねっこをしたいというつまらない欲望のために日本をむちゃくちゃにしている。いよいよヤクザに日本は乗っ取られたという次第なわけだ。これを許してきた国民は反省すべきなのだ。(9/Mar/2001 T.S.)

今日も印刷所の帰りにスクーターを走らせ天丼屋へ。近づくといつもの香り。やってて良かった。以前、晴れの日には天丼が似合うというようなことを書いたが、それには理由がある。空気が乾燥していれば揚げ物は美味しくあがる。山小屋も下界より湿気がないから少々下手でも旨く出来る。今日の上天丼のアナゴもいつものように見事。揚げすぎるとせっかくのアナゴの皮の香りがなくなってしまうが、ここのはいつも心地よい。庶民の味で高くもない。料理店のランキング本を出している外人が最近訪日し、日本の飯代の高さ(たぶん高級店の)は異常だと言っていた。ニューヨークも高いが日本はそれ以上と嘆き、下町をまわって様々な庶民の味を見つけたところで、これこそが素晴らしいと話していた。江戸時代より庶民が生み出した食文化はたいしたものなのである。(6/Mar/2001 T.S.)

国会ではまた不信任案が否決されているが、もう彼らの厚顔無恥ぶりにたいして怒ることさえ馬鹿馬鹿しいといった雰囲気である。今日、スクーターを走らせていて唯一の救いは沈丁花が咲いていたということ。その香りは、この世には醜い物だけではないことをかろうじて認識させてくれた。走った先の天丼屋は臨時休業でがっかりしたが、もう春は近いよと暖かい日射しが笑っていた。しかし、何時から下品であることが政治家必須の資質となったのだろう。

高視聴率の番組だというので「HERO」を観てみるがピンとこない。木村と松のファン層がだぶっていないことがマーケティング的にうまくいっているからなのか。視聴率だけのためのドラマ作りであったとしたら、ただ選挙に勝つためだけ、政権を維持するためだけの政党と似てはいないか。検事の世界を舞台にしているが必然性やメッセージは伝わってこない。フジTVの別のドラマ「ロケット・・」のほうが格好悪くて平凡な市民の生活のニュアンスをあらわしている。(5/Mar/2001 T.S.)

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