日記、あるいは、ある断章の提示
2000-11/27〜1/7




下界に降りました。したがってこの日記の再開となりました。このところ加藤の乱とか色々たのしい事もありました。もう自民党は完全にドロ船化していますね。ドラマとしてはお粗末だったけど、反応がいろいろあってそれはそれで良かった。若い人が結構これに反応していて、自分たちの無関心がこういった政治状況を生んでいることに気が付いたのではないか。それでも地方はまだまだなんです。長野や栃木で首長はかわったけれど、役場や県庁に勤めている人たちの意識はまったく変わっていないでしょう。これまで補助金で生き延びてきた土建屋さんたちも職業を変えることは考えていないし「なんでもいいから金さえ入ればいい」(田舎で聞いた話)といまだに中央頼みなのです。(27/Nov/2000 T.S.)

10月に地元の小学6年生達が鷹巣地区の調査に来て1泊していきました。総合学習授業とかで、自分で調べる内容を設定して実行するらしいです。夜は地元の方のお話を聞いたりと盛りだくさんの研修といった感じでした。その夜話で、子供が昔のアルバイトのことを聞いたときに「子供は色々な仕事を手伝ったが、ここではお金がなかったし、あっても使えなかった」という返答に子供達は??という感じ。かえって大人達に大受けでした。それほどへんぴな地域だったのですね。また昼間に子供達の質問をいろいろ受けていて「ダムが出来て生活は豊かになったのですか?」という問に、わたしは「豊かさは色々あって、お金が好きな人は補償金を貰えて豊かになったし、魚や昆虫やキノコが好きなら違っている。TVゲームが好きなら電気が通って豊かになったでしょう。でもあなた方の親が考える豊かさと、あなた達が考える豊かさは違っているはずだから、それを考えて実現できるように勉強しましょう」としめました。この発言も子供よりは校長先生に受けたようでした。(27/Nov/2000 T.S.)

上京してすぐに仕事が入ったのはありがたいこと。いま引っ越しの最中でなんやかんやで忙しくやっています。少しでも身軽にすべく、どんどん捨てに走っています。本の一部はすでに山小屋に運びました。しかし、いかにゴミを抱えていたことか。以前、広い部屋にい住んでいて、他人がくれるものを次々と運び込んでいたツケがきました。東京の仕事はi-Macと周辺機器が少しあれば済むし、哲学書や温泉の本は身近に置く必要もないのです。まあネパールのエッチな仏像くらいは手元に置いときましょう。(27/Nov/2000 T.S.)

ジョージ・ソロスが今年の4月に市場から手を引いて、資本主義は危機的な状況にあると発言したらしい。でも皆、資本主義がなにかしら欠陥があり、もう救えない方向へ走っていると思っていたのだろう。私が山に行くことにした時(3年前)に感じていたことでもある。(29/Nov/2000 T.S.)

木村、工藤という若者のできちゃった結婚が話題らしい。国民的アイドルとTVは伝えているが、両者とも私には無意味な存在。何も壊さないし何も創り出すような人々ではないから。普通の真面目なチンピラ、とくに頭も良くない青年で芸能人には向かなそうで、おばさまたちがペットとして欲しがるが本人はそれを嫌うだろう。ちょっと観たところでは木村は工藤嬢にはめられたという感じではある。(29/Nov/2000 T.S.)

引っ越しはほぼ終わった。でもまだまだダンボールの山。日曜は実家に帰ってワイン会を催した。飲んべーが昼から集まり、延々と6時間。楽しんで頂けたようでこちらも嬉しいかぎり。
今朝発って車で東京に帰ったのだが、小出では小雨だったのが塩沢を過ぎる頃からみぞれに、そして小雪になってきた。高速道路はほとんど車もいないので実に気持ちのいいドライブ。FM放送がアイルランド風のメロディーを流していて、鉛色の空にもぴったりであった。
いろいろと事件は多い。また17歳が爆弾事件をおこしていて、彼は中学生のときにテロリストになりたいと書いていたらしいが、テロリストと爆弾マニアは違うんだけどね。今回も成績のいい子供だったらしいけど明らかに教育システムの破綻を顕わしている。官僚以外を育てる手筈がないのだ。
政界も動きがあった。野中氏が幹事長を辞めて後任は古賀氏になった。人相を見るかんじではヤクザの親分、子分だなと思うのは私だけでなかろう。それにしても策士だらけで、まったく政治家らしい人がいないね。(11/Dec/2000 T.S.)

印刷物の出力データをもって尾久までいった。その帰り道、久々に向丘の天丼屋へ。スクーターを降りて歩道を店へむかうとプーンとごま油の香り。今日は寒いが快晴で心地よい日射し。天丼日和である。やはり天丼は晴れた冬の昼飯にぴったりである。(13/Dec/2000 T.S.)

二日酔いで寝込む。ほんとうに弱くなったものだ。夕方、開通した大江戸線に乗って新宿へ。新宿西口にすぐ出られてなかなか便利。いかれてたアンプの代わりを買うためいろいろ店を覗き安いレシーバーを買う。これでBGMにことかかない。とは言いながらボサノヴァをかけたからといって、山小屋の心地よい日陰とと薫風のなかで聞くのとはやはり違っている。2台のMacとTVモニターに囲まれた作業台と寝台は1日中穴蔵のようである。でもいつものように照明には凝っているから気分はまずまず。(14/Dec/2000 T.S.)

MOドライブがいかれた。スクーターで走っていって揺らしたためか、他の機種につないだらまったくMOを認識しない。修理しに秋葉原にいったら「買った方が安いですよ」と言われる。確かに昔の半値ではある。修理に出して新品を買いにいくが、なかなか気に入った箱がない。フツウの箱のが欲しいのだが、どれも少し前に流行のスケルトン風デザイン。携帯電話も女の子バージョンばかりであるが、MOまで同じにしないでくれと言いたい。(19/Dec/2000 T.S.)

TVを観ていて森首相のそっくりさんが出ているなと思っていたら本物だった。インターネット博覧会とかでその宣伝らしいのだがまったく首相と感じられないのはあいかわらずである。
10月の国勢調査の第1報で日本の人口の中心が動いて、これまで日本の真ん中(人口重心)としてきた村から隣町に移った。これまで中心であることを観光の目玉として饅頭やら何やら色々おみやげ物を作ったり、サインや施設も作ってきたらしい。村は困っているらしいが、こんなつまらないものを観光の目玉にしてきたことに唖然とするし、いくつものTV局で同じ話題を取り上げていたことにも驚かされた。(25/Dec/2000 T.S.)

新年である。米ではグリーンスパン氏が連日の利下げをしている。ようやるよと言った感じであるり確かにハードランデイングを避けるためには何でもやるという意志を示してはいるし市場も反応している。でもこれで米の景気減退は確実にやってくることをどんなアホでもわかる形になったとも言える。米では個人投資家も少しずつ店じまいに動くのではないだろうか。日本では省庁再編で、看板を書いた扇おばさんが一人元気であるが、字はあまりうまいとは思わなかった。年末、「朝までTV」で田中康夫新知事が気をはいていた。支持率90%以上というのは本当だろうか。あとは県議会議員ひとりひとりの意識が変わることが必要である。早速、田中、浅田氏の「新・憂国呆談」を買って読むが、私も視点が見解がかなり近い感じがした。同じ世代として自らを省みる事も必要と感じた。そろそろ形にしていかねばと。(7/Jan/2001 T.S.)

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